平戸市

平戸では、近世初頭の寛永元年(1624年)、鯨漁の先進地である熊野灘から遥か西海路を目指した紀州の捕鯨家が平戸近海に達し、現在の的山大島や度島等の平戸藩領に鯨組を構え、藩の財政浮揚策と考えた地元の思惑とも一致し、古式(突取式)捕鯨として江戸末期まで栄えた。 中でも、捕獲効率を大幅に向上させた網取式捕鯨の拠点として津吉浦は長い間重要な位置を占めていた。 これは、鯨が回遊するコ−ス(特に5〜6月)に当たっていたためなのだが、湾入が少ない単調な海岸線が鯨を網に誘導するのに都合の良い地形だったことも上げられる。鯨漁の際に唄われたとされる"おうたい"や"納屋場"という地名が今でも残る津吉浦(現在の前津吉町)だが、地元の長泉寺には元文4年(1739年)建立の鯨供養塔(県指定)がある。一方、明治期に入ると新たに西海各地で"平戸銃"と呼ばれるボンブランス法(銃式捕鯨)が導入され、平戸瀬戸ではナガスクジラが捕獲されるようになった。 しかし、明治30年以降、日本捕鯨の本流はノルウェー式(捕鯨砲)捕鯨への転換を急速に進め、近代捕鯨への脱皮を果たしていくのである。

津吉浦
●津吉浦
平戸島南部の東側に面し、眼前には九十九島を望む津吉浦(前津吉)は、平戸市南部の玄関口として佐世保市相浦航路の発着港でもある。本来、漁業の盛んな地区だが、元禄から安政にかけて、上五島近海や平戸瀬戸一帯に広がる重要な捕鯨墓地のひとつとして鯨組の納屋場で賑わっていた。今では、浜の上手にある長泉寺境内にある鯨供養の五重の塔が当時の漁民が建立したものとして名残をとどめている。

鯨供養 石造り五重の塔



●鯨供養 石造り五重の塔
津吉浦の上手にある長泉寺は、松浦家23代覚翁弘定が建立し、山門は約300年以上前の建築という。境内にある大きな五重の塔は、元文4年(1739年)に地元の漁民が鯨の鎮魂のために建立したもので、平戸の江戸時代中期を代表する石造建造物である。
総高5.39m、基礎石から相輪部まで14石からなり、昭和59年9月18日に有形民俗文化財として県の指定を受けている。

平戸瀬戸の捕鯨
●平戸瀬戸の捕鯨
古式捕鯨である突取式捕鯨に始まり、明治にはボンブランス法(銃式捕鯨)が導入され、平戸瀬戸ではナガスクジラが捕獲されるようになった。遊泳速度が速く俊敏なナガスクジラを捕獲し得たのには"平戸瀬戸"という極めて狭い海峡を鯨が遊泳するという地形的に恵まれた捕獲条件があったものと考えられる。平戸大橋南側の猿川(皿川とも言う)の浜では、『植松組』という鯨組がナガスクジラの解体を行っていたことを証明する古い写真が残されている。